昨日の夜はインタラクションの課題をやりました。
ペリペリするところの形や、切り取り線の線はどれが気持ちいいのか?ということを調べるために、
友達にやってみてもらおうと頼んでたのですが、予定が合わなくなってしまい、
急遽父にやってもらうことに・・・
ペリペリしているときどう感じながらやっているかを話しながら、それをデジカメで撮影。
自分では「これあると面白いかな?」って思いながらやっていても実際他の人がやると逆に切り取りにくかったり、
人が「きもちいい」って無意識に思えるようなものを目指していたのに、実際は「おもしろい」ものを考えていて、段々と軸がずれてきてしまっていたり。
これはミクロの視点ばかりだったからなのでしょうか。
私は自分でペリペリやっているときもただ気持ちいいのか、気持ちよくないのか、ということしか考えておらず、気持ち良くないとじゃあ別の形作ろう、となってしまっていた。
「ペリペリするところのどこが気持ち良いと思えるのか?」
「あまり気持ちよくないところはどこが悪かったのか?」
を考えなければ先に進めない。
人間が「気持ち良い」と感じるのは、エラーがないこと。
障害も何もなく、何も考えずにできること。
プチプチも「この飛び出てる丸を潰したら気持ち良さそう」って何故か無意識にわかって、
そしてそれを潰したときの期待通りの「プチッ」っていう音と触感。
それをもっと感じたい!って思って、いっぱい潰したくなる。
この繰り返し頭を使わずにする動作と五感で感じ取ったモノが「気持ちよさ」に繋がるという事が分かりました。
そして飛び出て丸を潰したら良い音が出そうとか、枝豆の皮を押すと何か出てきそうって思わせられるようなきっかけがないと、その"頭を使わずにする動作"すらさせられない。
その動作をさせようとする"きっかけ"も必要なんだという事がわかりました。
これをいかして作っていこうと思います。
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